日本における冠婚葬祭

近世日本の武家階級では元服というものがあり、服装、髪型や名前を変える、男子は腹掛けに代えてふんどしを締める(褌祝)、女子は成人仕様の着物を着て厚化粧する、といったしきたりもあった。地域・社会によっては男子の場合、米俵1俵(60キログラムから80キログラム)を持ち上げることができたら一人前とか、地域の祭礼で行われる力試しや度胸試しを克服して一人前、1日1反の田植えができたら一人前などという、年齢とは別の成人として認められる基準が存在した例もある。女子の場合には子供、さらに言うならば家の跡継ぎとなる男子を出産して、ようやく初めて一人前の女性として周囲に認めてもらえる場合もあった。
男子の場合、明治の徴兵令施行から太平洋戦争が終結した1945年までは「国民皆兵」の体制が取られ、徴兵検査がその通過儀礼となった。徴兵検査で一級である甲種合格となることは「一人前の男」の公な証左であり憧れの対象でもあった。徴兵検査により健康状態や徴兵上の立場が明らかにされることは、当事者の社会的・精神的立場にも影響を与えた。現役兵役に適さないとされる丙種合格であった山田風太郎は、自らを「列外の者」と生涯意識する要因になったと述べている。1938年には結核による丙種合格判定も要因の1つとなって日本犯罪史に残る大量殺人事件・津山事件が起きている。しかしながら、身内レベルでは入営を免れる丙種合格を望む風潮もあり、また「甲種合格と認められつつ籤逃れ(入営抽選漏れ)がよい」と望む考えも暗にあった。昭和時代での甲種合格率は3分の1前後、甲・乙に満たない丙種以下の割合は、時期により変動するが15〜40%程度であった。入営後は新兵教育という名目のいじめやしごきという形で通過儀礼がおこなわれた(詳細は兵 (日本軍)を参照)。
現代の日本においては、幼少時の七五三や、老年期の還暦や喜寿の祝いなど年齢に到達することで行われる通過儀礼は残っているものの、「その人物を地域社会が一個の成人として認める通過儀礼」が過去ほど明確には意識されてはいない。18歳で普通自動車の運転免許の取得が可能になる、20歳で選挙権、25歳で被選挙権の行使が可能になるなど、法律により一定年齢に達することで自動的に権利が与えられるものはあるが、儀式としては成人式以外に通過儀礼と呼べるものはない。ただし、運転免許は公共交通至便の大都市圏では取得しない例もさして珍しくないが、郊外・農村部などモータリゼーションが進展している地域では自動車運転能力の有無が就職のみならず日常生活にまで関わる死活問題となることも多く、それゆえ地域社会で運転免許の取得が社会人になるための事実上の通過儀礼として見なされていることは珍しくなく、就職活動などに際しても運転免許を持っていないことで身体障害などを疑われて不採用となることもあるなど、戦前の徴兵検査における丙種合格以下の者と似た社会的疎外を受ける一因になることがある(2002年6月施行の道路交通法改正で欠格条項が大幅に緩和され、多くの身体障害者において運転免許取得が可能になったが、それ以前は身体障害者の運転免許は欠格条項が壁となり取得までに極めて多くの困難を伴ったり、あるいは不可能なものであった)。

ハレとケの概念

「ハレとケ」とは、柳田國男によって見出された、時間論をともなう日本人の伝統的な世界観のひとつ。
民俗学や文化人類学において「ハレとケ」という場合、ハレ(晴れ)は儀礼や祭、年中行事などの「非日常」、ケ(褻)はふだんの生活である「日常」を表している。また、ケ(褻)の生活が順調に行かなくなることをケガレ(気枯れ)という。
ハレの場においては、衣食住や振る舞い、言葉遣いなどを、ケとは画然と区別した。

もともとハレとは、折り目・節目を指す概念である。ハレの語源は「晴れ」であり、「晴れの舞台」(=生涯に一度ほどの大事な場面)、「晴れ着」(=折り目・節目の儀礼で着用する衣服)などの言い回しで使用されている。これ対し普段着を「ケ着」といったが明治以降から言葉として使用されなくなった。また、現代では単に天気が良いことを「晴れ」というが、江戸時代までさかのぼると、長雨が続いた後に天気が回復し、晴れ間がさしたような節目に当たる日についてのみ「晴れ」と記した記録がある。
ハレの日には、餅、赤飯、白米、尾頭つきの魚、酒などが飲食されたが、これらはかつて日常的に飲食されたものではなかった。また、そのための器もハレの日用であり、日常的には用いられなかった。